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日報2022-07-14

July 14, 2022

暑い中そこそこ重いスピーカーを持って階段を上り下りしたため、大変になった。

ICCの展示に向けて走る。PCBが一通り実装できた。期待したとおりに動くことを確認。アクリルの加工途中まで。時間なく明日に回す。レシーバーの仮組み。エンコード及びソレノイドの制御と、アタックの検出からデコードまでをそれぞれ一枚の基板で完結させることができ、かなりすっきりしたと思う。やりたかったことがまだ十分とは言えないができた。改良を続けよう。明日はアクリルの続き、ネジ系の部品調達、加工など。
まだ決まっていない部分や手をつけられていないセクションもある。とりあえず福岡出る前にできることを明日中にやっておく。工房の機材を使えるのは本当にありがたい。

試行錯誤、じゃなくなる段階になると記録が疎かになる癖がある。どうしたものか。

昨日、大学でdj sniffさんのレクチャとパフォーマンスのイベントがあり、設営など手伝った。レクチャもパフォーマンスもすばらしく、とても刺激を受けた。こういうとき、よく質問の時間とかあると思うんだけどそれが苦手で、特に今回は自分の興味にドハマりする内容だったため、こう、咀嚼するのでいっぱいで、頭が全然回らなかった。
しかしながら、こういうときに思うのはその人の存在そのものがかなりメッセージ持ってるというか、直接の言葉のほかに、身のこなしであったり、振る舞い方、もちろん演奏もそうだが、今日ここにいるということ自体、とか、そういうもの中に様々なものをキャッチすることができて、直接聞くまでもなく、何かを与えてくれる(ような感じが、ある)ということだ。
だからやっぱりまず人が生きるということがあり、それ自体メッセージなのだなあみたいな突飛なことをぼんやりと思ったのだ。

あ、おおしまたくろうさんのインタビューを読んで、同じようなことを思ったんだ。生きて、動くということはかなりメッセージを媒介する行為っぽい。


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