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日報2022-08-05

August 05, 2022

昨日現場で身体中の水分が3回そっくり入れ替わるくくらいの汗をかいた。それからというもの汗がすごく出やすい状態になっている気がする。

装置する音楽について考える。5月の展示で「再演のための装置」という作品を作った。これは本来装置として作曲されていない楽曲を再解釈し、装置そのものを音楽として再構成するみたいなものだ。SteveReichのClappingMusicを手拍子ではなく電気のオン・オフという形で再演した。この曲は2人のパフォーマーが楽譜に示されたクラップのパターンを演奏するという、いわゆる作曲された楽曲というような形をとっている。それに対してReichのPendulum Musicや、AlvinLucieの「Music on a Long Thin Wire」は演奏の内容、ではなく演奏、音楽、の形式に焦点を当てた、インストラクションによる装置・機材のコンポジションといえる。

こういったもの、つまり、出力された音、ではない要素が多く含まれる音楽やそれに近い表現、を記録して流通させようとしたとき、基本的には音声や映像を記録したメディアを、何らかの形式で流通させることになるのだが、しかし、それは演奏とか、何らかの行為の結果、の記録であり、何かを出力するプログラムと書き出されたデータという関係に近く、あるいはクラスの定義とインスタンス、のような、より音楽の根っこ、に近いなにか、を流通させることは難しいのである、みたいなことを思う。ライブなものとデッドなもの、というイメージが、なんかある。 音、や状態、みたいな結果を出力するためのしくみ、やコンセプト、みたいなものを取り込んだひとつの装置、あるいはプロダクト、ガジェット、に近いようななにかをつくることで、あまり良くはない言い方だと思うが、より音楽の根っこに近い、生きた、というよりは「出音」以前の形を流通させられるのではないか、と考えた。ちょっと加速した頭で適当なことを行っている部分もあるが、こういう議論はされてるような気がするから、調べたりする。

自動演奏装置との関係、や、様々な形での音楽を流通させるためのメディアについて、とか、ブッダマシーンとかTristanPerichの例とか、城さんの紙レコードとかももしかしたらそうかもしれない、関連する項目とかのことも考える必要がある。

以前よりも制作のこととか考えられる様になってきた。今はなにかおおきいものがおわり、あ~っとなって色々拡散している状態。こういうときのストックは後々役立ってきたりもする。し、こうやってあ~っ、と考えたときに以前あ~っ、と考えていたことの続きというかリンクする何かを見出すことができる。それらをまとめ上げて形にする、という作業とは全く別のたぐいのことをいましている、と考えればそれほど焦ることもないが、

リレーをちゃんとしたの使って、基板もつくろうとおもっていて、リレーについて少し調べた。OMRONのG2R-1をとりあえず買おう。

制作って基本的に物品を購入するところからしか始まらない気がする、から、予めいくらかかります、みたいなことが言えなくて、助成の書類とかとても難しい。ある程度見積もりがたった時点で始めるのか。なにかコツがあるのだろう。いや、作る前からこういうものを作ります、おもしろいです、って言えなくないか。おもしろいのかわからなくていったりきたりを繰り返して最終ギリギリ面白くなる、みたいな感じじゃないのか。よくわかんないね。

昼休み、おひるを食べようと思いつつ謎に脳が加速したのでたくさん文字を頭から出した。一旦おえる。

3件くらい、連絡してもしなくてもいいけど(しなさいと他人から言われていない)したほうが良いと自分でわかっているみたいなことがある。それが一週間ぐらい頭の隅にあって体がこわばる。極度乾燥(しなさい)


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