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日報2022-08-24

August 24, 2022

純粋なロジックというものは人の頭の中にしか存在しない。こんなようなことが「CPUの創り方」というホビー的な技術書に書かれていて、目から鱗だった。我々の生活を支えるコンピュータの根幹となる「論理」はヴァーチャルなものであり、その存在しないロジックを不完全で不安定、限りなくアナログな電気という現象を用いて擬似的に再現しようとしている。こういったことは、広く流通しているコンピュータを完成された製品として扱っているだけでは得られない視点だ。

「新しい手話」プロトタイプをすすめる。この話を城さんにすこし話したら、事故や生まれつきで指の欠損した人はどうするのか、という話が出て、ハッとさせられた。両手に指が5本づつあり、不自由なく動かせるという「健常な身体」をベースにしたシステムであり、そこから外れてしまう人について考えることができていなかった。指の欠損だけではなく、麻痺などでうまく指を動かすのが難しい場合もある(「グワシ」にあたる0b1010などは自分でも難しい)。どこまでを包括するか、という問題にはなるが(すべてをカバーするのは不可能だ)、大切な視点だ。自分がまったく意識せずできていることについて、それができないという状況を意識することはこんなにも難しい、というか無意識にしてしまっている、ということに改めて気がついた。

「しるし」としての価値のないものは切り捨てられる、というデジタルの原則は一見冷徹で非人間的であるが、逆に言えば「しるし」さえあればあとはなんでもいいよ、というおおらかさでもあるような気がする。「しるし」と「規則」によってあらゆる情報を表現することができる。人間の複雑さとデジタルのおおらかさの間で、いかに規則を設計するか、ということは念頭に入れておきたい。


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