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日報2022-08-10

August 10, 2022

八木良太さんの2014年の個展、サイエンス/フィクションのトークイベント「物の理」の記録映像を見た。メディアアートというものはたしかに存在している。と、少し思える。

Room 1

2010年代-2020年代あたりのメディアアートの流れ、重要な個別のアーティストは数多くいるが、自分のなかで整理できていない。欧米の話は全然わからないな。色々調べていこう。

メディアアートとはなんなのか、ということについて考えている。ずっと考えているというか、なんなのか?わからなすぎて困る。キレそう。というので福岡に来た部分もある。以前よりも自分の中での答えに少し近づいている感覚がある。

うまく言葉に出来ないのだが、1990年代-2000年代のあの感覚と、それを引き継いでいる2010年代の制作あたりへの興味。メディア、媒体への言及性。まだまだ読めていない文献もたくさんあるな。わりと「メディアアート」をわかりたい、という気持ちでいろいろなことをやっている。

クリストファー・スモール「ミュージッキング」冒頭少し読んだ。その中心となるのは「音楽はモノではなく活動や行為である」という主張で、冒頭部分ではいかに音楽という言葉が西洋のクラシック音楽を中心に考えられてきたか、ということや、音楽の本質や意味は「音楽作品」及びそれを対象化した楽譜のなかにあり、行為としてのパフォーマンスの創造性は創造性は無視されてきたことが語られる。その音楽作品>パフォーマンスという従来の構図に意義を唱え、むしろそれを反転させようとする。

音楽という語について、かねてよりその示す範囲が広すぎることに疑問があった。同じ音楽といっても、人それぞれまったく別のことを言っている。バンドマンとクラシックのリスナー、DJでは音楽という言葉の指す意味自体全く異なっていて、それによってミスコミュニケーションが起きることはまったくもって必然的なことだ。しかし当事者たちは私の言っている音楽とあなたの言う音楽が違うということを省みることは少ないのではないかと思う。相手の言っていることを「間違っている」と思うか、ジャンルは違えど同じだね、ということに収まるんじゃないかと思う。

手を動かすこともすすめていきたい…。


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